00:00:06
先生 ささ どうぞ
00:00:09
ありがとう
00:00:11
では お酒も揃ったところで 乾杯といきましょうか
00:00:14
待て 待て
00:00:16
みんなの紹介が先だろう
00:00:18
そうですね
00:00:20
あらためて
00:00:22
辞書編集部 主任の荒木だ
00:00:25
定年で現場を離れるが なるべく顔を出すようにする
00:00:28
寂しくなるなあ
00:00:30
西岡は… まあ こんな奴だ
00:00:34
それだけっすか
00:00:35
で そちらが佐々木さん
00:00:37
契約社員で 主に資料の整理と分類をお願いしてる
00:00:41
佐々木です
00:00:44
馬締です
00:00:45
そして こちらが松本先生
00:00:47
うちが出している辞書のほとんどは先生に監修していただいている
00:00:52
松本です よろしくお願いします
00:00:55
馬締です よろしくお願いします
00:00:58
馬締 硬いって
00:01:00
お前の歓迎会なんだから 緊張すんなって
00:01:03
あっはい すみません
00:01:13
どうかしたか
00:01:14
いえ あの…
00:01:17
ああ これね
00:01:18
用例採集カード
00:01:20
知らない言葉や新しい言葉の使い方に出合ったら これにメモするんです
00:01:26
長年の習慣で 手放せなくてね
00:01:47
朝のおぼろげとした静寂 ペンの柄に映る窓越しの東雲
00:01:53
夜の色鮮やかな喧噪 猫のように街と街を往来
00:02:00
硬い思念 柔い思考 近い想い 遠い記憶
00:02:04
髪の毛の癖
00:02:06
狭い視野 広い交遊 長い沈黙 短い挨拶
00:02:11
声のトーン
00:02:13
互いに違う目の奥の光 条約にない友好の跡
00:02:19
永久の砂を攫う広い海で
00:02:26
対義や類義の疎らな波に呑まれては沈んで
00:02:27
正面衝突 正反対も解いては結んで
00:02:34
論及論決 幾星霜に散らばる言葉を集めて拾うよ
00:02:40
潮風薫りゆく 浜辺に浮かべた繋がりは一つに
00:03:04
しっかし 辞書編集部に異動だなんて がっかりしただろ
00:03:08
地味なイメージだもんな
00:03:11
まっ 実際地味なんだけど
00:03:13
いえ 辞書は好きなので
00:03:16
ちょっと 馬締さん
00:03:19
何やってんだよ
00:03:21
西岡君が話しかけるからでしょ
00:03:24
俺のせいっすか
00:03:25
すみません
00:03:27
そっちは濡れなかった
00:03:29
はい
00:03:31
すみません
00:03:33
こいつ こんなんで仕事できるのかな
00:03:41
馬締君は大学では言語学専攻だったそうだが 元々言葉に興味あったのか
00:03:47
はい でも 知識ばかりで
00:03:49
俺は子供の頃 「犬」って言葉に興味を持ってな
00:03:53
「犬」って動物のですか
00:03:55
ああ
00:03:56
犬は古来 人間の忠実な相棒 賢く愛らしい友だ
00:04:01
ところが 「憲兵の犬」「犬死に」となるとどうだ
00:04:06
どうだって言われても…
00:04:11
お前はまったく
00:04:14
馬締君 どうだ
00:04:17
えーっと
00:04:21
憲兵の犬はスパイ
00:04:23
犬死には無駄でしょうか
00:04:26
犬という単語は比喩的にマイナスの意味で使われることが多い
00:04:30
のではないでしょうか
00:04:33
犬の一語が様々な意味やイメージを含み持っている
00:04:37
面白いもんだなと俺は言葉に夢中になったもんだ
00:04:44
荒木さん 荒木さん 今日ぐらい言葉から離れましょうよ
00:04:49
なあ 馬締って彼女いんの
00:04:52
いえ
00:04:54
じゃあ 今度合コン セッティングしてやるよ
00:04:56
携帯の番号教えて
00:04:58
おい 西岡
00:05:01
持ってないです
00:05:03
なんで
00:05:04
営業部で使っていたものは会社に返してしまったので
00:05:08
不便じゃないの
00:05:10
いえ 特には
00:05:11
なら普段どうやって連絡取ってんだよ
00:05:14
頻繁に連絡を取らなければならない人はいませんし
00:05:18
下宿先に共用の電話があるので
00:05:21
そういう問題か
00:05:23
じゃあさ 馬締の趣味は
00:05:26
趣味ですか
00:05:29
強いて言えば エスカレーターに乗る人を見ることです
00:05:35
楽しいの それ
00:05:37
はい
00:05:38
通勤の際 僕は電車からホームに降りたら わざとゆっくり歩くんです
00:05:45
乗客は僕を追い越して エスカレーターに殺到していく
00:05:49
まるで誰かが操っているかのように 人々は二列になって運ばれていきます
00:05:55
順番に 整然と
00:05:58
朝のラッシュも気にならないほど 美しい情景です
00:06:07
荒木君
00:06:09
はい
00:06:11
馬締
00:06:14
なぜ我々が新しい辞書をこれから作ろうとしてるか わかるか
00:06:20
いえ
00:06:22
辞書は言葉の海を渡る舟です
00:06:26
言葉がなければ 自分の思いを表現することも
00:06:30
相手の気持ちを深く受け止めることもできません
00:06:34
人は辞書という舟に乗り 最もふさわしい言葉を探して
00:06:38
暗い海面に浮かび上がる小さな光を集める
00:06:42
言葉は光なのです
00:06:45
しかし 刻々と変化する世界でうまく言葉を見つけられず
00:06:50
行き場を失った感情を胸に 葛藤の日々を送る人もいる
00:06:55
そういう人々にも安心して乗ってもらえるような舟
00:07:00
それが我々が作ろうとしている辞書
00:07:06
大きな海を渡ると書いて 『大渡海』です
00:07:12
言葉の大海原を渡る一艘の舟を編む
00:07:15
新しい言葉を積極的に取り入れ 簡潔かつ明瞭な語釈を心掛けましょう
00:07:23
『大渡海』を人々の思いに寄り添う辞書にするために
00:07:28
先生のお話は長くなるのが玉に瑕ですね
00:07:32
一言で言うとズバリ 辞書って何ですか
00:07:35
お前は何年辞書編集部に
00:07:38
まあまあ
00:07:40
そうですね
00:07:42
一言で言うなら
00:07:44
みんながより理解し合える世界を築く一助になるものでしょうか
00:07:50
壮大な話だなあ
00:07:53
力を貸してもらえますか
00:07:57
おーし
00:07:59
なんかいい感じんなったところで あらためて乾杯しましょう
00:08:03
まったくお前は
00:08:05
いいじゃありませんか
00:08:07
では僭越ながら 音頭を取らせていただきます
00:08:15
我々辞書編集部の船出に
00:08:18
乾杯
00:08:20
乾杯
00:08:25
馬締 お前は西岡の隣を使え
00:08:29
はい
00:08:30
いいか 辞書作りは言葉を集めるところから始まる
00:08:34
日常会話や街の看板 本やテレビ ラジオといった
00:08:38
あらゆるものから言葉を集めて
00:08:41
この用例採集カードに使用例を書きためていくんだ
00:08:44
はい
00:08:46
その他には
00:08:47
まずは見出しの選定をやってもらう
00:08:51
『大渡海』と同じ中型辞書である『広辞苑』『大辞林』『大辞泉』の
00:08:55
三冊に採用されている言葉には二重丸
00:08:58
二つに採用されているものには一重丸
00:09:01
一つだけに採用されているものには三角を
00:09:05
用例採集カードの端っこに付けていく
00:09:08
何の印ですか
00:09:10
用例採集した言葉のうち
00:09:12
何を『大渡海』の見出しとして採用するかの目安にするんだ
00:09:17
『大渡海』は約二十三万語を収録する予定なんだが
00:09:21
二重丸はよっぽどのことがなければ採用
00:09:24
順に一重丸 三角と採用する可能性は低くなる
00:09:28
だが問題は 印が付かない どの辞書にも載っていない言葉だ
00:09:33
その中からどういう言葉を採用するかで 『大渡海』の色は変わる
00:09:39
しっかし この作業全然終わんねえっすよ
00:09:43
お前はすぐ休憩するからだろ
00:09:45
違いますよ
00:09:47
だってこれ すごい量あるじゃないっすか
00:09:50
『大渡海』 ほんとに完成するんすかね
00:09:53
まあ 少なくとも十年はかかるな
00:09:55
十年
00:09:58
その頃俺は何やってんだろう
00:10:00
ずーっと辞書を作ってるんだ
00:10:04
俺の人生って
00:10:06
頑張ります
00:10:08
何でだよ
00:10:14
あそこが給湯室で その横がトイレ
00:10:18
佐々木さんが綺麗にしてくれているが 君も気が付いた時は掃除してくれ
00:10:23
はい
00:10:25
古い建物だろ
00:10:28
はい
00:10:29
い…いえ
00:10:33
今じゃ 辞書編集部は隅に追いやられたように見えるかもしれんが
00:10:37
俺が入社した頃は ここが本館だったんだ
00:10:41
辞書作りに会社も力を入れていた
00:10:43
俺たちは追いやられたんじゃなくて 残ったんだ
00:10:47
だから辞書も残さなきゃならん
00:10:49
とまあ 俺の勝手な理屈だがな
00:10:53
いえ
00:10:55
さて あとは資料室だな
00:11:10
これが松本先生と辞書編集部で用例採集してきた言葉だ
00:11:16
現在九十万語以上ある
00:11:18
まだ増えるぞ
00:11:20
そして ここにある言葉の中から『大渡海』に載せるべき言葉を選別し
00:11:24
厚さ八十ミリの限られた空間に収めていく
00:11:28
それが見出しだけで二十三万語にもなる
00:11:32
そうだ
00:11:33
さらに その一つ一つに語釈を付けていく 途方もない仕事だ
00:11:41
なあ 馬締
00:11:43
俺は辞書は必ずしも万能ではないと思っている
00:11:48
どういうことでしょうか
00:11:50
結局は人が作るものということだ
00:11:53
古今の日本語を全部集めることはできない
00:11:56
それに 言葉は生き物だから
00:11:58
使い方やニュアンスは時代と共にどんどん変わっていく
00:12:02
そう考えると 正しい語釈なんてないとも言える
00:12:06
それでも 辞書を作る人間は挑み続ける
00:12:11
一見辞書は 無機質な文字の羅列に見えるが
00:12:15
全て誰かが考えに考え抜いて書いたものなんだ
00:12:23
すごいです
00:12:26
馬締 お前の情熱を『大渡海』に注いでくれ
00:12:33
まあ まだ来たばかりでどうこう言えないだろうが
00:12:37
でも何か
00:12:40
自分にも
00:12:42
何か自分も辞書作りの役に立つことができればと
00:12:51
歓迎会でエスカレーターの話を聞いた時 俺は確信した
00:12:57
君は辞書作りに向いている
00:12:59
ここにある無数の言葉が整然と一冊の辞書に収まっていくのと
00:13:04
君が言うエスカレーターの情景は似ている
00:13:25
馬締
00:13:27
どうか いい辞書を作ってくれ
00:13:31
多くの人が安心して乗れるような舟を
00:13:36
そして 君だからこそ作れる舟を
00:13:43
おしえて!
00:13:44
じしょたん!!
00:13:46
辞書同士でしりとりすると どうなるんだろう
00:13:49
終わらなそうじゃない
00:13:50
たくさん言葉を知っていますからね
00:13:52
とりあえず やってみようよ
00:13:55
じゃあ 最初は『用例』
00:13:56
用いられている例
00:13:59
急になに
00:14:00
何だろう つい反応しちゃって
00:14:02
い…い
00:14:03
『意味』
00:14:04
言葉が示す内容
00:14:06
お前もかよ
00:14:08
抑えきれない何かが
00:14:09
お二方 しりとりですよ
00:14:11
そうだね み…み
00:14:13
『見出し』
00:14:14
辞書で項目を示す部分
00:14:17
あんたもかい
00:14:20
みんなすぐに語釈を言いたくなるんだね
00:14:31
{\an8}次の四番線の電車は西高島平行き 普通列車です
00:14:45
{\an8}間もなく四番線に電車がまいります
00:14:48
{\an8}危ないですので 白線の内側までお下がりください
00:14:49
僕だから作れる舟
00:14:53
同時に 多くの人が安心して乗れる舟
00:15:07
みっちゃん おかえり
00:15:09
ただいま帰りました
00:15:12
なんか元気ないじゃないか
00:15:15
いえ そんなことは
00:15:23
もう今年も中秋の名月なんだね
00:15:26
年々時間が経つのが早くなって嫌んなっちゃう
00:15:30
ススキと団子を見るまで忘れていました
00:15:33
月は昔っから変わらないように見えるんだけどね
00:15:39
タケさんのご飯 いつもおいしいです
00:15:41
あれ みっちゃんもお世辞が言えたんだ
00:15:45
お世辞じゃないです
00:15:49
気落ちしているように見えましたか
00:15:52
見えるね
00:15:54
仕事 大変なのかい
00:15:57
いえ ああ 辞書編集部に異動になったんです
00:16:03
何だかみっちゃんに向いてそうなところじゃない
00:16:06
辞書は好きですが 一人で書店を回ることが多かった営業部とは違って
00:16:12
辞書作りは全員で協力する必要があるんです
00:16:15
それのどこが問題なの
00:16:18
端的に言って うまく辞書編集部に馴染めるか不安です
00:16:22
それに 期待に応えられるだけの辞書を作る能力が本当に僕にあるのかも
00:16:28
いい年して よくもそんなことで悩めるね
00:16:33
おかしいですか
00:16:36
いや みっちゃんらしいなと思って
00:16:40
みっちゃんはさ 職場の人と仲良くなりたいんだよ
00:16:43
仲良くなっていい辞書を作りたいんだ
00:16:47
なんでわかるんですか
00:16:48
そこはほら みっちゃんと私はつうかあの仲だから
00:16:54
「つうと言えばかあ」…
00:16:56
「つうと言えばかあ」
00:16:58
つう…
00:17:02
いつも通りでいいんじゃない
00:17:04
みっちゃん 頼めば電球替えてくれるでしょ
00:17:08
それはもちろん
00:17:09
私が誘えば遠慮せずご飯を食べに来てくれもする
00:17:13
おんなじように頼ったり頼られたりすればいいと思うよ
00:17:18
私だけじゃなく 職場の人とも
00:17:22
みっちゃんが一生懸命みんなに気持ちを伝えれば
00:17:25
みんなも一生懸命応えてくれる
00:17:28
世の中ってのは そういうもんさ
00:17:40
お風呂あいたよ
00:17:41
あっ はい
00:17:42
みっちゃんも たまにはゆっくり湯船に漬かったら
00:17:47
はい
00:17:48
朝にシャワーばっかりじゃ 疲れ取れないから
00:17:53
はい
00:17:55
じゃあ 私は先に休ませてもらうよ
00:17:58
洗いものありがとね
00:18:00
はい おやすみなさい
00:18:07
トラさん
00:18:19
伝えたい 相手の思いを深く受け止めたい
00:18:23
最もふさわしい言葉を探して
00:18:27
僕が『大渡海』にできること
00:18:46
はい もしもし
00:18:49
どうしたんだい
00:18:51
これから
00:18:55
そりゃ構わないけど
00:19:00
はい 私はもう先に寝てるから
00:19:07
じゃあ 気をつけてくるんだよ
00:19:09
はーい はいはい
00:19:30
トラさん
00:20:18
トラさん
00:20:29
こんなところにいたんだ
00:20:32
迎えに来たよ
00:21:00
うれしい
00:21:02
迎えに来てくれたんだ
00:21:16
ねえ 今日はまぁるい月が見えるよ
00:21:27
眠るあなたにそっと話しかける
00:21:38
仕草が 姿勢が その生き方が
00:21:49
どんな言葉よりも 好きにさせるの
00:21:56
だからあなたはそのままでいい
00:22:02
I&I You&I 感じていて
00:22:08
Here with you ずっとここにいるよ
00:22:13
出逢えた日 あの日からもう
00:22:21
あなたが好きよ
00:22:35
先生はピータンはお好きじゃない
00:22:37
これとこれは油が多すぎる お体によくない 却下
00:22:41
よし 完璧
00:22:42
どうぞ 先生
00:22:43
こういう時はまめだよなあ
00:22:45
当然の心掛けっすよ
00:22:47
こいつめ