00:00:12
ねえねえ
00:00:17
あそこのイカ墨パエリア おいしいらしいよ
00:00:21
今度行こうよ
00:00:23
いやいや こんなとこで飯なんか行けっかよ
00:00:28
誰が見てるかわかんねぇだろ
00:00:31
ほれ もうちょっと前行けって
00:00:33
はいはーい
00:00:43
脚 短ぇな
00:01:00
朝のおぼろげとした静寂 ペンの柄に映る窓越しの東雲
00:01:06
夜の色鮮やかな喧噪 猫のように街と街を往来
00:01:13
硬い思念 柔い思考 近い想い 遠い記憶
00:01:17
髪の毛の癖
00:01:19
狭い視野 広い交遊 長い沈黙 短い挨拶
00:01:24
声のトーン
00:01:26
互いに違う目の奥の光 条約にない友好の跡
00:01:32
永久の砂を攫う広い海で
00:01:39
対義や類義の疎らな波に呑まれては沈んで
00:01:41
正面衝突 正反対も解いては結んで
00:01:47
論及論決 幾星霜に散らばる言葉を集めて拾うよ
00:01:54
潮風薫りゆく 浜辺に浮かべた繋がりは一つに
00:02:18
では先生 引き続きよろしくお願いします
00:02:21
はい
00:02:23
はい
00:02:24
ええ それはもう はい
00:02:27
では 失礼します
00:02:32
どうした 馬締
00:02:34
最近 物が掴みにくくなりました
00:02:37
マジかよ お前 もう指紋なくなったのかよ
00:02:41
俺なんて五年もいるのに
00:02:44
しっかり残ってるぞ
00:02:45
紙が掴みにくくて不便です
00:02:48
お前 これで銀行強盗も手袋なしでできるな
00:02:53
おやおや 随分物騒な話をしてますね
00:02:57
先生も一味でしょう
00:02:59
西岡君 届いたわよ
00:03:02
来た来た
00:03:04
ありがとうございます
00:03:18
この原稿はかなり手を入れる必要がありそうです
00:03:23
やっぱりな
00:03:25
そのうえ 規定の文字数をオーバーしているものばかりです
00:03:29
執筆要領は
00:03:30
もちろん渡してっけど
00:03:32
こりゃ読んでねぇだろうな
00:03:35
修正の了承は得ていますか
00:03:38
伝えている
00:03:39
けど この小田先生がなかなかめんどくさい人なんだよな
00:03:44
まあ念のため どこをどう変更するか 連絡しとくか
00:03:48
その「西行」の項目なんてどうだ
00:03:51
まず 無駄な言葉が多すぎると思います
00:03:55
だよな 先生の個人的な思いがビッシリ詰まってるもんな
00:04:00
西行の歌を「日本人なら誰しも感銘を受ける」って
00:04:05
「誰しも」と決めつけるようなことは書くべきではないでしょうね
00:04:10
それに この「思うところあって」「出家した」って
00:04:13
ツッコミどころ満載だよな
00:04:15
はい 西行の出家の理由は諸説あって よくわかっていません
00:04:19
この辺りは曖昧すぎる文章になっているので すべて省きましょう
00:04:25
この短歌必要か
00:04:26
そこは 追って検討する余地があります
00:04:29
現段階では とりあえず省いてしまっていいでしょう
00:04:40
大分まとまってきたな
00:04:43
ただ 「西行」の項目に人物の説明があるだけでは
00:04:48
辞書として不足かと
00:04:51
別の意味があるのか
00:04:52
はい 西行が諸国を旅して回ったことから
00:04:56
あちこちに遍歴する人 流れ者などを「西行」と表現したりもします
00:05:02
他にも
00:05:03
まだあんのかよ
00:05:05
はい
00:05:05
能にも『西行桜』という作品がありますし
00:05:09
笠をあみだに被ることは「西行被き」
00:05:12
それに 風呂敷包みを斜めに背負うことは「西行背負い」と言います
00:05:17
すげぇ お前 まさか色んな辞書の中身全部覚えてんの
00:05:22
それができればいいのですが
00:05:24
しかし すべての意味を載せることはスペース的に無理そうです
00:05:29
西岡さんは『大渡海』にどの意味を載せるのがいいと思いますか
00:05:35
そうだな
00:05:37
強いて言うなら「遍歴する人」「流れ者」かな
00:05:42
なぜですか
00:05:44
いやまあ 他の意味は前後の文脈から何となくイメージできるだろ
00:05:50
なるほど
00:05:50
だけど 例えばだけどな
00:05:54
実際の流れ者が何かの拍子に辞書を眺めたとする
00:05:58
で 「西行」っていう言葉に
00:06:01
西行が諸国を回ったことから
00:06:03
「遍歴する人 流れ者」って意味もあるって知ったら
00:06:08
大昔から旅をせずにはいられない俺みたいな奴はいたんだって
00:06:13
心強く感じるんじゃないかな
00:06:17
どうした
00:06:19
そ そんなふうに考えたことはありませんでした
00:06:23
まあ 辞書に言葉を採用する基準としては間違っているかもしれないけどな
00:06:29
いえ そんなことありません
00:06:33
先生 お時間 大丈夫ですか
00:06:36
おっと いけない
00:06:38
西岡君 馬締君
00:06:41
はい
00:06:42
あなたたちは本当にいいコンビになりましたね
00:06:46
互いの良さを尊重し そして補い支え合っている
00:06:52
素晴らしい信頼関係です
00:06:56
では お先に
00:06:58
お お疲れ様です
00:07:00
お疲れ様です
00:07:04
風冷てぇ
00:07:06
上着着てくればよかったな
00:07:11
西岡さん
00:07:13
僕は西岡さんが異動になること 本当に残念です
00:07:21
『大渡海』をち…血の通った辞書にするためにも
00:07:26
西岡さんは絶対に必要な人なのに
00:07:33
馬締
00:07:37
俺はもうすぐ異動になるけど
00:07:40
お前と『大渡海』を作ってたこと 誇りに思う
00:07:44
でも これで終わるわけじゃねぇ
00:07:48
たとえ どんなに離れていても
00:07:54
どんな壁があったとしても
00:07:56
これからも俺は何があろうとお前をフォローする
00:08:00
それに 松本先生や辞書編集部のみんなだっている
00:08:05
だから 一人になっても お前は一人じゃないからな
00:08:17
ありがとうございます
00:08:19
絶対に なんとしても
00:08:24
『大渡海』を完成させましょう
00:08:41
うっし
00:08:45
珍しいな もう帰んのか
00:08:48
はい 梅の実で香具矢さんが初めて一品任されるそうなんです
00:08:54
西岡さんもどうですか
00:08:56
ほんとは一人で行きたいくせに
00:08:58
い…いや
00:09:00
まだやることあるしな 遠慮しとくよ
00:09:03
そうですか
00:09:04
ほら 帰った帰った
00:09:07
では お先に失礼します
00:09:10
お疲れ
00:09:24
えーっと 小田先生っと
00:09:30
うっし
00:09:48
あの人 彼女できたの
00:09:50
あれ 言ってなかったっけ
00:09:55
初めての彼女かな
00:09:59
とうとう童貞卒業だ
00:10:02
めでたいね それは
00:10:04
ねえ 彼女 どんな人なの
00:10:07
すげーしっかりした子でさ
00:10:10
これがまためっちゃめちゃ綺麗なんだよ
00:10:18
風呂 入ってくるわ
00:10:29
辞書は言葉の海を渡る舟 か
00:10:38
離れても 思いは同じだ
00:10:50
いや まー君 お風呂長いね
00:10:56
相変わらず不細工だな
00:10:58
ひどっ
00:11:06
っつーか 最近遅いね
00:11:11
もうすぐ異動だから 色々な
00:11:15
無理しないでね
00:11:22
おはようございます
00:11:24
おはようございます
00:11:27
いや 私は目が痒くて
00:11:30
荒木君は花粉症でしたね
00:11:33
ええ
00:11:34
おはようございます
00:11:36
おはようございます
00:11:38
荒木さん 目赤いっすね
00:11:41
最近は花粉の会話で春の訪れを実感するようになりました
00:11:46
もう三月ですしね
00:11:48
となると 西岡も残りひと月を切ったか
00:11:52
ちょっと それじゃあ 俺 死んじゃうみたいじゃないですか
00:11:56
うちの宣伝部は地獄だぞ
00:11:59
俺は宣伝部でこき使われてよれよれになって辞めていった奴を何人も知ってる
00:12:05
西岡 死ぬなよ
00:12:08
ちょっと ちょっと
00:12:10
なにそんな真っ赤な目で怖いこと言ってるんですか
00:12:14
すまん
00:12:15
いやいやいや 「ヘックション」じゃないっすよ
00:12:23
はい 玄武書房辞書編集部です
00:12:28
はい
00:12:29
はい 少々お待ちくださいませ
00:12:32
西岡君 光文大の小田先生からよ
00:12:38
はいはい ありがとうございます
00:12:44
どうも 先生 西岡です
00:12:45
いったいどういうことですか 西岡さん
00:12:51
おしえて!
00:12:53
じしょたんず!!
00:12:56
僕たちって 矛盾した存在ですよね
00:12:59
語釈に個人的な感情は要りません しかし…
00:13:03
客観的すぎても個性がなくなっちゃう
00:13:05
いったいどうすりゃいいんだ
00:13:09
でも そこが面白いとこでもあるんですよね
00:13:12
ええ 一筋縄じゃいかないところが癖になります
00:13:15
難しくって仕方がない
00:13:17
でも 楽しくって仕方がない
00:13:20
まさに矛盾じゃないか
00:13:22
俺たちって いったい…
00:13:24
何なんだー
00:13:28
辞書ですよね
00:13:30
はい
00:13:31
だよな
00:13:34
僕たちやっぱり辞書なんだなあ
00:13:39
はい 承知しました
00:13:41
では 後ほど
00:13:43
はい 失礼します
00:13:46
うっし 俺 ちょっと出掛けてきます
00:13:49
なんかあったのか
00:13:51
いやいや 大したことじゃないっす
00:13:53
まあ あの先生のことだから 誰かと話したいんすよ きっと
00:13:59
そうか
00:14:00
じゃ いってきます
00:14:07
玄武書房の西岡です 失礼します
00:14:12
先生 この度は
00:14:13
さっきも言ったように 原稿をあんなに直されるのは初めてです
00:14:18
大変申し…
00:14:19
前代未聞です
00:14:21
大変申し訳ありません
00:14:24
しかし 辞書は文体を統一しなければならないので
00:14:28
どうか ご了承いただけないでしょうか
00:14:31
あの修正案を書いたのは西岡さんですか
00:14:35
いえ 私が編集部の馬締という者に相談を持ち掛けました
00:14:41
そういえば 聞きましたよ 西岡さん
00:14:44
あなた 異動になるらしいじゃないですか
00:14:49
その件はあらためてご報告に伺おうと思っていたんですが
00:14:54
はい 今月いっぱいで異動になります
00:14:57
そんな途中で投げ出すような人に原稿をいじってほしくないですね
00:15:01
いえ 投げ出すつもりはありません
00:15:04
先生 確かに私は異動になります
00:15:08
しかし今後は その馬締が誠心誠意 先生の担当をいたします
00:15:13
馬締は信頼の置ける男です
00:15:18
じゃあ その馬締さんとやらがすべての原稿を手掛けるといい
00:15:23
私はもう手を引かせてもらいます
00:15:32
実のところ 私も馬締も先生には非常に感謝しているんです
00:15:38
それは
00:15:39
はい これはここだけの話ですが
00:15:42
他の先生の原稿だと もっと手直しが必要なんですよ
00:15:48
今回も先生に原稿を頂いたおかげで 文体の統一のみで済みました
00:15:54
先生 本当にありがとうございます
00:15:57
そうなんですね
00:15:58
はい
00:15:59
まあ きちんと頭を下げてもらえれば
00:16:02
修正案をのむのもやぶさかではないです
00:16:05
ありがとうございます
00:16:06
まあ 土下座とまでは言わないが
00:16:11
土下座…ですか
00:16:24
なるほど わかりました
00:16:54
『大渡海』はそんな安い辞書じゃねえ
00:16:58
先生 冗談がお上手ですね
00:17:02
何の話ですか
00:17:04
例えば先生に愛人がいるとしましょう
00:17:07
なっ
00:17:08
仮定の話です
00:17:10
でも 私はそれをネタに修正案をのむように強いることはしません
00:17:15
なぜなら そういう誰かを試す真似が大嫌いだからです
00:17:20
私は先生と同じく「品性」という言葉を知ってますから
00:17:25
西岡さん
00:17:27
あなた まさか週刊誌に異動して芸能人の不倫ネタでも書くんですか
00:17:33
そんな例え話をしても 何の意味もないですよ
00:17:38
いや まだ若いのに 料理がお上手なんですねぇ
00:17:43
それに 成績も優秀らしいですね
00:17:46
君ね
00:17:47
さすが先生の個人指導の賜物だ
00:17:53
おわかりいただけたでしょうか
00:17:59
ありがとうございます
00:18:14
先生
00:18:16
『大渡海』に取り組むうちの編集部の覚悟は
00:18:20
地球のコアより硬く マグマよりも熱いんです
00:18:24
長く愛され信頼される辞書を 必ず馬締が作り上げます
00:18:30
ですので これからもご協力よろしくお願いします
00:18:42
はい 玄武書房辞書編集部でございます
00:18:46
馬締か
00:18:47
西岡さん 小田先生は
00:18:50
何の問題もない お前の原稿でいく
00:18:53
そうですか よかったです
00:18:56
やけにさっぱりしてんな
00:18:58
西岡さんのことだから きっと大丈夫だと思っていました
00:19:03
おう そうか
00:19:05
西岡さんは頼りになる人ですから
00:19:09
まさに頼ったり頼られたりだな
00:19:12
はい
00:19:14
まあ とりあえず そういうことだからさ
00:19:17
じゃあな
00:20:36
一人になっても お前は一人じゃないからな
00:20:59
よし
00:21:16
ねえ 今日はまぁるい月が見えるよ
00:21:27
眠るあなたにそっと話しかける
00:21:38
仕草が 姿勢が その生き方が
00:21:49
どんな言葉よりも 好きにさせるの
00:21:56
だからあなたはそのままでいい
00:22:02
I&I You&I 感じていて
00:22:08
Here with you ずっとここにいるよ
00:22:13
出逢えた日 あの日からもう
00:22:21
あなたが好きよ
00:22:35
威厳が足りない
00:22:36
メガネ一つで印象は変わる
00:22:38
俺が見立ててやるから 主任っぽいメガネに新調だ
00:22:41
違うな
00:22:43
もっとビシッとしたのありません
00:22:45
いいね いいね
00:22:46
これとか
00:22:48
ビシッときたー
00:22:48
{\an8}帰りたい