コンビニ人間
コンビニエンスストアは、音で満ちている。
客が入ってくるチャイムの音に、店内を流れる有線放送で新商品を宣伝するアイドルの声。
店員の掛け声に、バーコードをスキャンする音。
かごに物を入れる音、パンの袋が握られる音に、店内を歩き回るヒールの音。
全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている。
売り場のペットボトルが一つ売れ、代わりに奥にあるペットボトルがローラーで流れてくるカラララ、という小さい音に顔をあげる。
冷えた飲み物を最後にとってレジに向かうお客が多いため、その音に反応して身体が勝手に動くのだ。
ミネラルウォーターを手に持った女性客がまだレジに行かずにデザートを物色しているのを確認すると、手元に視線を戻す。
店内に散らばっている無数の音たちから情報を拾いながら、私の身体は納品されたばかりのおにぎりを並べている。
朝のこの時間、売れるのはおにぎり、サンドイッチ、サラダだ。
向こうではアルバイトの菅原さんが小さなスキャナーで検品している。
私は機械が作った清潔な食べ物を整然と並べていく。
新商品の明太子チーズは真ん中に二列に、その横にはお店で一番売れているツナマヨネーズを二列に、あまり売れないおかかのおにぎりは端っこだ。
スピードが勝負なので、頭はほとんど使わず、私の中に染みこんでいるルールが肉体に指示を出している。
チャリ、という微かな小銭の音に反応して振り向き、レジのほうへと視線をやる。
掌やポケットの中で小銭を鳴らしている人は、煙草か新聞をさっと買って帰ろうとしている人が多いので、お金の音には敏感だ。
案の定、缶コーヒーを片手に持ち、もう片方の手をポケットに突っ込んだままレジに近付いている男性がいた。
素早く店内を移動してレジカウンターの中に身体をすべりこませ、客を待たせないように中に立って待機する。
「いらっしゃいませ、おはようございます!」
軽い会釈をして、男性客が差し出した缶コーヒーを受け取る。
「あー、あと煙草の5番を一つ」
「かしこまりました」
すばやくマルボロライトメンソールを抜き取り、レジでスキャンする。
「年齢確認のタッチをお願いします」
画面をタッチしながら、男性の目線がファーストフードが並んだショーケースにすっと移ったのを見て、指の動きを止める。
「何かおとりしますか?」
と声をかけてもいいが、客が買うかどうか悩んでいるように見えるときは、一歩引いて待つことにしている。
「それと、アメリカンドッグ」
「かしこまりました。
ありがとうございます」
手をアルコールで消毒し、ケースをあけてアメリカンドッグを包む。
「冷たいお飲物と、温かいものは分けて袋にお入れしますか?」
「ああ、いい、いい。一緒に入れて」
缶コーヒーと煙草とアメリカンドッグを手早くSサイズの袋に入れる。
その間、ポケットの中の小銭を鳴らしていた男性が、ふと思いついたように胸ポケットに手を入れる。
その仕草から、電子マネーで支払いをするのだなと咄嗟に判断する。
「支払い、スイカで」
「かしこまりました。
そちらにスイカのタッチをお願いします」
客の細かい仕草や視線を自動的に読み取って、身体は反射的に動く。
耳と目は客の小さな動きや意思をキャッチする大切なセンサーになる。
必要以上に観察して不快にさせてしまわないよう細心の注意を払いながら、キャッチした情報に従って素早く手を動かす。
「こちらレシートです。
ありがとうございました!」
レシートを渡すと、「どうも」と小さく礼を言って男性が去って行った。
「お待たせいたしました。
いらっしゃいませ、おはようございます」
私は次に並んでいた女性客に会釈をする。
朝という時間が、この小さな光の箱の中で、正常に動いているのを感じる。
指紋がないように磨かれたガラスの外では、忙しく歩く人たちの姿が見える。
一日の始まり。
世界が目を覚まし、世の中の歯車が回転し始める時間。
その歯車の一つになって廻り続けている自分。
私は世界の部品になって、この「朝」という時間の中で回転し続けている。
再びおにぎりを並べに走ろうとした私に、バイトリーダーの泉さんが声をかける。
「古倉さん、そっちのレジ、五千円札何枚残ってるー?」
「あ、二枚しかないです」
「えーやばいな、なんだか今日、万券多いねー。
裏の金庫にもあんまりないし、朝ピークと納品落ち着いたら、午前中に銀行行ってこようかな」
「ありがとうございます!」
夜勤が足りないせいでこのところ店長は夜勤にまわっており、昼の間は私と同世代のパートの女性の泉さんが社員のようになって、店をまわしている。
「じゃあ、10時ごろちょっと両替行くねー。
あ、それと、今日、予約のいなりずしがあるから、お客様が来たら対応よろしくね」
「はい!」
時計を見ると9時半をまわっている。
そろそろ朝ピークも収まり、納品を手早く済ませて昼ピークの準備をしなければならない時間だ。
私は背筋を伸ばし、再び売り場に戻っておにぎりを並べ始めた。
コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思いだせない。
郊外の住宅地で育った私は、普通の家に生まれ、普通に愛されて育った。
けれど、私は少し奇妙がられる子供だった。
例えば幼稚園のころ、公園で小鳥が死んでいたことがある。
どこかで飼われていたと思われる、青い綺麗な小鳥だった。
ぐにゃりと首を曲げて目を閉じている小鳥を囲んで、他の子供たちは泣いていた。
「どうしようか……?」
一人の女の子が言うのと同時に、私は素早く小鳥を掌の上に乗せて、ベンチで雑談している母の所へ持って行った。
「どうしたの、恵子?
ああ、小鳥さん……!
どこから飛んできたんだろう……かわいそうだね。
お墓作ってあげようか」
私の頭を撫でて優しく言った母に、私は、「これ、食べよう」と言った。
「え?」
「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」
良く聞こえなかったのだろうかと、はっきりとした発音で繰り返すと、母はぎょっとし、隣にいた他の子のお母さんも驚いたのか、目と鼻の穴と口が一斉にがばりと開いた。
変な顔だったので笑いそうになったが、その人が私の手元を凝視しているのを見て、そうか、一羽じゃ足りないなと思った。
「もっととってきたほうがいい?」
近くで二、三羽並んで歩いている雀にちらりと視線をやると、やっと我に返った母が、「恵子!」
ととがめるような声で、必死に叫んだ。
「小鳥さんはね、お墓をつくって埋めてあげよう。
ほら、皆も泣いてるよ。
お友達が死んじゃって寂しいね。
ね、かわいそうでしょう?」
「なんで?
せっかく死んでるのに」
私の疑問に、母は絶句した。
私は、父と母とまだ小さい妹が、喜んで小鳥を食べているところしか想像できなかった。
父は焼き鳥が好きだし、私と妹は唐揚げが大好きだ。
公園にはいっぱいいるからたくさんとってかえればいいのに、何で食べないで埋めてしまうのか、私にはわからなかった。
母は懸命に、「いい、小鳥さんは小さくて、かわいいでしょう?
あっちでお墓を作って、皆でお花をお供えしてあげようね」と言い、結局その通りになったが、私には理解できなかった。