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コンビニ人間 - 2

皆口みなぐちをそろえて小鳥ことりがかわいそうだと言いいいながら、泣きなきじゃくってそのへんはなくき引きひきちぎって殺しころしている。

綺麗きれいなお花。はな。

きっと小鳥ことりさんも喜ぶよろこぶよ」などと言っていっている光景こうけいあたまがおかしいように見えみえた。

小鳥ことりは、「立ち入りたちいり禁止きんし」と書かかかれたさく中になかにあな掘っほっ埋めうめられ、誰かだれかがゴミはこから拾っひろってきたアイスのぼうつち上にうえに刺ささされて、はな死体したい大量たいりょう供えそなえられた。

「ほら、ね、恵子、けいこ、悲しいかなしいね、かわいそうだね」とはは何度なんどわたし言いいい聞かきかせるようにしょういたが、わたし少しすこしもそうは思わおもわなかった。

こういうことが何度なんどもあった。

小学校しょうがっこう入っいっったばかりの時、とき、体育たいいく時間、じかん、男子だんし取っとっ組みくみ合いあいのけんかをして騒ぎさわぎになったことがあった。

誰かだれか先生せんせい呼んよんできて!」

誰かだれか止めとめて!」

悲鳴ひめいがあがり、そうか、止めるやめるのか、と思ったおもったわたしは、そばにあった用具ようぐ入れいれをあけ、中になかにあったスコップを取り出しとりだし暴れあばれ男子だんしのところに走っはしっ行き、いき、そのあたま殴っなぐった。

周囲しゅうい絶叫ぜっきょう包まつつまれ、男子だんしあたま押さおさえてそのにすっ転んころんだ。

あたま押さおさえたまま動きうごき止まとまったのを見て、みて、もう一人ひとり男子だんし活動かつどう止めとめようと思い、おもい、そちらにもスコップを振りふり上げあげると、 「恵子けいこちゃん、やめて!やめて!」

女の子おんなのこたちが泣きなきながら叫んさけんだ。

走っはしってきて、惨状さんじょう見たみた先生せんせいたちは仰天ぎょうてんし、わたし説明せつめい求めもとめた。

止めろやめろ言わいわれたから、一番いちばん早そはやそうな方法ほうほう止めとめました」

先生せんせい戸惑っとまどっ様子ようすで、暴力ぼうりょく駄目だめだとしどろもどろになった。

「でも、止めろやめろってみな言っていってたんです。

わたしはああすれば山崎やまざきくんと青木あおきくんの動きうごき止まとまると思ったおもっただけです」

先生せんせい何をなにを怒っいかっているのかわからなかったわたしはそう丁寧ていねい説明し、せつめいし、職員しょくいん会議かいぎになってはは呼ばよばれた。

なぜだか深刻しんこく表情ひょうじょうで、「すみません、すみません……」と先生せんせいあたま下げさげているはは見て、みて、自分じぶんのしたことはどうやらいけないことだったらしいと思ったおもったが、それが何故なぜなのかは、理解りかいできなかった。

教室きょうしつおんな先生せんせいがヒステリーを起こおこして教卓きょうたく出席簿しゅっせきぼ激しくはげしく叩きたたきながらわめき散らちらし、みな泣きなき始めはじめたときもそうだった。

先生、せんせい、ごめんなさい!」

「やめて、先生せんせい!」

みな悲壮ひそう様子ようす止めとめてと言っていって収まおさまらないので、黙っだまってもらおうと思っておもって先生せんせい走りはしり寄っよってスカートとパンツを勢いいきおいよく下ろくだろした。

若いわかいおんな先生せんせい仰天ぎょうてんして泣きなきだして、静かしずかになった。

となりのクラスの先生せんせい走っはしってきて、事情じじょう聞かきかれ、大人おとな女の人おんなのひとふく脱がぬがされて静かしずかになっているのをテレビの映画えいが見たみたことがある、と説明すせつめいすると、やっぱり職員しょくいん会議かいぎになった。

「なんで、恵子けいこにはわからないんだろうね……」

学校がっこう呼び出さよびだされたははが、帰り道、かえりみち、こころ細そほそそうにげんいて、わたし抱きだきしめた。

自分じぶんはまた何かなにか悪いわるいことをしてしまったらしいが、どうしてなのかは、わからなかった。

ちちははも、困惑こんわくしてはいたものの、わたし可愛がかわいがってくれた。

ちちはは悲しかなしんだり、いろんなにん謝っあやまったりしなくてはいけないのは本意ほんいではないので、わたしいえそとでは極力きょくりょくくち利かきかないことにした。

みな真似まねをするか、誰かだれか指示しじ従うしたがうか、どちらかにして、自らみずから動くうごくのは一切いっさいやめた。

必要ひつようなこと以外いがい言葉ことば喋らしゃべらず、自分じぶんから行動こうどうしないようになったわたし見て、みて、大人おとなはほっとしたようだった。

高学年こうがくねんになるにしたがって、あまりに静かしずかなので、それはそれで問題もんだいになるようになった。

でも、わたしにとっては黙るだまることが最善さいぜん方法ほうほうで、生きいきていくための一番いちばん合理的ごうりてき処世術しょせいじゅつだった。

通知つうちおもてに「もっとお友達ともだち作っつくっ元気げんきそと遊ぼあそぼう!」

書かかかれてもわたし徹底てっていして、必要事項ひつようじこう以外いがいのことをくちにすることはなかった。

二つふたつ年下とししたいもうとは、わたし違っちがって、「普通ふつう」の子どもこどもだった。

かといってわたし敬遠けいえんするわけでもなく、むしろ慕っしたってくれていた。

いもうとわたし異なことな普通ふつうのことではは叱らしかられているとき、ははわたし近づちかづいて「どうして怒っいかっているの?」

理由りゆう尋ねたずねた。

わたしはは質問しつもんしたせいでお説教せっきょう終わおわると、ひさしわれたと思うおもうのか、いもうとはいつもわたしに「ありがとう」と言った。いった。

菓子かし玩具がんぐにあまり興味きょうみがなかったわたしは、それらをいもうとにあげることも多かおおかった。

そのため、いもうとはいつもわたしについてまわっていた。

家族かぞくわたし大切たいせつに、愛しいとしてくれていて、だからこそ、いつもわたしのことを心配しんぱいしていた。

「どうすれば『治るなおる』のかしらね」

ははちち相談そうだんしているのを聞き、きき、自分じぶん何かなにか修正しゅうせいしなければならないのだなあ、と思ったおもったのを覚えおぼえている。

ちちくるま遠くとおくまちまでカウンセリングに連れつれ行かいかれたこともある。

真っ先まっさきいえ問題もんだいがあるのではないかと疑わうたがわれたが、銀行員ぎんこういんちち穏やおだやかで真面目まじめにんで、はは少しすこし気弱きよわだが優しやさしく、いもうとあねであるわたしによくふところいていた。

「とにかく、愛情あいじょう注いそそいで、ゆっくり見守りみまもりましょう」とどくにもくすりにもならないことを言わいわれ、両親りょうしんはそれでも懸命けんめいわたし大切たいせつ愛しいとし育てそだてた。

学校がっこう友達ともだちはできなかったが、特にとくに苛めいじめられるわけでもなく、わたしはなんとか、余計よけいなことをくちにしないことに成功せいこうしたまま、小学校、しょうがっこう、中学校ちゅうがっこう成長しせいちょうしていった。

高校こうこう卒業そつぎょうして大学生だいがくせいになっても、わたし変わかわらなかった。

基本的きほんてき休み時間やすみじかん一人ひとり過ごすごし、プライベートな会話かいわはほとんどしなかった。

小学校しょうがっこうのころのようなトラブルは起きおきなかったが、そのままでは社会しゃかい出らでられないと、ははちち心配しんぱいした。

わたしは「治らなおらなくては」と思いおもいながら、どんどん大人おとなになっていった。

スマイルマートにち色町いろまち駅前えきまえみせがオープンしたのは、1998ねんがつ日、にち、わたし大学一年生だいがくいちねんせいのときだった。

オープンする前、まえ、自分じぶんがこのみせ見つみつけたときのことは、よく覚えおぼえている。

大学だいがく入っいっったばかりの頃、ごろ、学校がっこう行事ぎょうじのう観にみに行き、いき、友達ともだちがいなかったわたし一人ひとり帰るかえるうちにみち間違えまちがえたらしく、いつの間にまに見覚えみおぼえのないオフィスまち迷い込んまよいこんだのだった。

ふと気がきが付くつくと、にん気配けはいがどこにもなかった。

白くしろく綺麗きれいなビルだらけのまちは、画用紙がようし作っつくっ模型もけいのような偽物にせものじみた光景こうけいだった。

まるでゴーストタウンのような、ビルだけの世界。せかい。

日曜にちよう昼間、ひるま、まちには私以外わたしいがいだれ気配けはいもなかった。

異世界いせかい紛れまぎれ込んこんでしまったような感覚かんかく襲わおそわれ、わたし早足はやあし地下鉄ちかてつえき探しさがし歩いあるいた。

やっと地下鉄ちかてつ標識ひょうしき見つみつけてほっと走りはしり寄っよっさきで、真っ白まっしろなオフィスビルの一階いっかい透明とうめい水槽すいそうのようになっているのを発見はっけんした。

「スマイルマートにち色町いろまち駅前えきまえみせOPEN!

オープニングスタッフ募集ぼしゅう!」

というポスターが透明とうめいのガラスに貼らはられているほかは、看板かんばん何もなにもなかった。

ガラスのなかをそっと覗くのぞくと、にん誰もだれもおらず、工事こうじ途中とちゅうなのか、かべのあちこちにはビニールが貼りはりつけられていて、何もなにも載っのっていない白いしろいたなだけが並んならんでいた。

このがらんどうの場所ばしょがコンビニエンスストアになるとはわたしには到底とうてい信じしんじられなかった。

いえからの仕送りしおくり十分じゅうぶんにあったが、アルバイトには興味きょうみがあった。

わたしはポスターの電話番号でんわばんごうをメモして帰り、かえり、翌日よくじつ電話でんわをかけた。

簡単かんたん面接めんせつ行わおこなわれ、すぐに採用さいようとなった。

来週らいしゅうから研修けんしゅうだと言わいわれ、指定さしていされた時間じかんみせ向かむかうと、そこはまえ見たみたときよりも少しすこしコンビニらしくなっていた。

雑貨ざっかたなだけが出来上ができあがっており、文房具ぶんぼうぐやハンカチなどが整然せいぜん並んならんでいた。

みせ中になかには、わたし同じおなじように採用さいようされたアルバイトたちが集まあつまっていた。

自分じぶん同じおなじ大学生だいがくせいくらいの女の子おんなのこや、フリーターかぜ男の子おとこのこに、少しすこし年上としうえ主婦しゅふ思わおもわれる女性、じょせい、年齢ねんれい服装ふくそうもバラバラの15にんほどのアルバイトが、ぎこちなく店内てんないをうろついていた。

やがてトレーナーの社員しゃいん現れ、あらわれ、全員ぜんいん制服せいふく配らくばられた。

制服せいふくそで通し、とうし、服装ふくそうチェックのポスターに従ってしたがって身なりみなり整えととのえた。

かみ長いながい女性じょせい縛り、しばり、時計とけいやアクセサリーを外しはずし列につらになると、さっきまでバラバラだった私たちわたしたちが、急にきゅうに店員てんいん」らしくなった。

一番最初いちばんさいしょ練習れんしゅうしたのは表情ひょうじょう挨拶あいさつだった。

笑顔えがおのポスターを見なみながら、その通りとうり口角こうかくをあげ、背筋せすじ伸ばし、のばし、よこ並んならん一人ひとりずつ「いらっしゃいませ!」

言わいわされた。トレーナーの男性社員だんせいしゃいんが、一人ひとりずつチェックしていき、こえ小さかちーさかったり表情ひょうじょうがぎこちない場合ばあいは「はい、もう一度いちど!」

指示しじ飛ぶ。とぶ。岡本おかもとさん、恥ずかしはずかしがらないでもっとにっこり!

相崎あいざきくん、もっと声出しこえだして!はいもう一度いちど

古倉こくらさん、いいねいいね!そうそう、その元気げんき!」

わたしはバックルームで見せみせられた見本みほんのビデオや、トレーナーの見せみせてくれるお手本てほん真似まねをするのが得意とくいだった。

今まで、いままで、誰もだれもわたしに、「これが普通ふつう表情ひょうじょうで、こえ出し方だしかただよ」と教えおしえてくれたことはなかった。

オープンまでの二週間、にしゅうかん、二人組ふたりぐみになったり、社員しゃいん相手あいてにしながら、架空かくうきゃく向かむかって、ひたすら練習れんしゅう続いつづいた。

「お客様きゃくさま」の見てみて微笑んほほえん一礼いちれいすること、生理用品せいりようひん紙袋かみぶくろ入れいれること、温かいあたたかいもの冷たいつめたいもの分けわけ入れいれること、ファーストフードを頼またのまれたらをアルコールで消毒しょうどくすること。

きん慣れなれるためにとレジの中になかに本物ほんもののおきん入っいっっていたが、レシートには「トレーニング」と大きくおおきく印字いんじされていたし、相手あいて同じおなじ制服せいふく着たきたアルバイト仲間なかまだし、なんとなくお買いものかいものごっこをしているようだった。

大学生、だいがくせい、バンドをやっている男の子、おとこのこ、フリーター、主婦、しゅふ、夜学やがく高校生、こうこうせい、いろいろなにんが、同じおなじ制服せいふく着て、きて、均一きんいつな「店員てんいん」という生き物いきもの作り直さつくりなおされていくのが面白かおもしろかった。

そのにち研修けんしゅう終わおわると、皆、みな、制服せいふく脱いぬい元のもとの状態じょうたい戻っもどった。

他のほかの生き物いきもの着替えきがえているようにも感じかんじられた。

二週間にしゅうかん研修けんしゅう後、のち、ついにみせがオープンするにちになった。

その日、にち、わたしあさからみせにいた。

白くしろく何もなにもなかったたなには、所狭しところせまし商品しょうひん並べならべられていた。

社員しゃいん手にてによって隙間すきまなく並べならべられたそれらは、どこか作りつくりものめいて感じかんじられた。

オープンの時間じかん来て、きて、社員しゃいんがドアをあけた瞬間、しゅんかん、わたしは「本物ほんものだ」と思った。おもった。

研修けんしゅう想定そうていしていた架空かくうきゃくではなく、「本物ほんもの」だ。

いろいろなにんがいる。

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