「え、ほんと?
店長100個発注しちゃってるよ、やばいなー。
とりあえず今日来たぶんだけでも売らないとねー」
「はい!」
アルバイトは圧倒的に学生かフリーターが多いので、自分と同世代の女性と働くことは珍しい。
泉さんは茶髪を纏め、紺色のカットソーの上から白いシャツを着て、水色のネクタイを締めた。
日色町駅前店がオープンしたときにはこんなルールはなかったが、今のオーナーになってからは、必ず制服の下はシャツとネクタイと決まっている。
泉さんが鏡の前で服装を整えていると、「おはようございます!」
と菅原さんが飛び込んできた。
菅原さんは24歳のアルバイトで、声が大きい明るい女の子だ。
バンドのボーカルをやっているらしく、ベリーショートの髪を本当は赤くしたいのだとぼやいていた。
少しぽっちゃりとしていて愛嬌があるが、泉さんが来る前は遅刻も多かったし、ピアスをつけたまま働いて店長によく叱られていた。
泉さんがさばさばとした調子で上手に叱って教育したおかげで、今では菅原さんも、すっかり真面目で仕事に熱い店員だ。
昼勤は他に、ひょろりと背が高い大学生の岩木くんと、就職先が決まってもうすぐ辞めてしまうフリーターの雪下くんがいる。
岩木くんも就活で来られない日が増えるというので、店長が夜勤から戻ってくるか、新しい人を昼勤でとるかしないと、店がまわらなくなってしまう。
今の「私」を形成しているのはほとんど私のそばにいる人たちだ。
三割は泉さん、三割は菅原さん、二割は店長、残りは半年前に辞めた佐々木さんや一年前までリーダーだった岡崎くんのような、過去のほかの人たちから吸収したもので構成されている。
特に喋り方に関しては身近な人のものが伝染していて、今は泉さんと菅原さんをミックスさせたものが私の喋り方になっている。
大抵のひとはそうなのではないかと、私は思っている。
前に菅原さんのバンド仲間がお店に顔を出したときは、女の子たちは菅原さんと同じような服装と喋り方だったし、佐々木さんは泉さんが入ってきてから、「お疲れさまです!」
の言い方が泉さんとそっくりになっていた。
泉さんと前の店で仲が良かったという主婦の女性がヘルプに来たときは、服装があまりに泉さんと似ているので間違えそうになったくらいだ。
私の喋り方も、誰かに伝染しているのかもしれない。
こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。
働く前の泉さんは少し派手だが三十代女性らしい服装をしているので、履いている靴の名前やロッカーの中のコートのタグを見て参考にしている。
一度だけ、バックルームに置きっぱなしになっていたポーチの中を覗き、化粧品の名前とブランドもメモした。
それをそのまま真似してはすぐにバレてしまうので、ブランド名で検索し、そこの服を着ている人がブログで紹介したり、どちらのストールを買おうかな、と名前をあげている他のブランドを着ることにしている。
泉さんの服装や持っている小物、髪形などを見ていると、それが正しい三十代女性の見本のように思えてくる。
泉さんが、ふと、私の履いているバレエシューズに目を止める。
「あ、それ、表参道のお店の靴だよね。
私もそこの靴、好きなのー。ブーツ持ってるよー」
泉さんは、バックルームでは少し語尾を伸ばしてだるそうに喋る。ここの靴は泉さんがトイレに入っている隙に靴底のブランド名をメモして、お店に出向いて買ったものだ。
「えーっ、ほんとですか!
ひょっとして紺色のやつですよね。
前にお店に履いてきてましたよね、あれ可愛かったです!」
菅原さんの喋り方をトレースし、少し語尾を大人向きに変えた口調で泉さんに答える。
菅原さんはスタッカートのついたような、少し弾んだ喋り方をする。
泉さんとは対照的な喋り方だが、二つを織り交ぜながら喋ると不思議とちょうどいい。
「古倉さんって私と趣味が合う気がするー。
そのバッグもかわいいよねえ」
泉さんが微笑む。
泉さんを見本にしているのだから趣味が合うのは当然でもある。
周りからは私が年相応のバッグを持ち、失礼でも他人行儀でもないちょうどいい距離感の喋り方をする「人間」に見えているのだろう。
「泉さん、昨日店にいましたー?
ラーメンの在庫、ぐっちゃぐちゃなんですけどっ!」
ロッカーのほうで着替えていた菅原さんが大声を出した。
泉さんがそちらを振り向いて声をかける。
「いたよー。
昼間は大丈夫だったんだけど、夜勤の子が、また無断欠勤だったの。
だから新人のダット君が入ってるでしょ」
制服のチャックをあげながらこちらへ来た菅原さんが顔をしかめる。
「えー、またバックレですかあ。
今人手不足なのに、信じられない!
だから店、ガタガタなんですねっ。
パック飲料ぜんぜん出てないじゃないですか、朝ピークなのに!」
「そうそう。最悪だよねー。
店長、やっぱり今週から夜勤にまわるって。
今、新人さんしかいないもんね」
「昼勤だって就活で岩木くん抜けるのに!ほんと、困りますよね!
辞めるなら辞めるで、前もって言ってくれないと、結局しわ寄せが他のバイトに来るだけじゃないですかー!」
二人が感情豊かに会話をしているのを聞いてると、少し焦りが生まれる。
私の身体の中に、怒りという感情はほとんどない。
人が減って困ったなあと思うだけだ。
私は菅原さんの表情を盗み見て、トレーニングのときにそうしたように、顔の同じ場所の筋肉を動かして喋ってみた。
「えー、またバックレですかあ。
今人手不足なのに、信じられないです!」
菅原さんの言葉を繰り返す私に、泉さんが時計と指輪を外しながら笑った。
「はは、古倉さんめっちゃ怒ってる!
そうだよねー、ほんとあり得ないよー」
同じことで怒ると、店員の皆がうれしそうな顔をすると気が付いたのは、アルバイトを始めてすぐのことだった。
店長がムカつくとか、夜勤の誰それがサボってるとか、怒りが持ち上がったときに協調すると、不思議な連帯感が生まれて、皆が私の怒りを喜んでくれる。
泉さんと菅原さんの表情を見て、ああ、私は今、上手に「人間」ができているんだ、と安堵する。
この安堵を、コンビニエンスストアという場所で、何度繰り返しただろうか。
泉さんが時計を見て、私たちに声をかけた。
「じゃ、朝礼しようか」「はーい」
三人でならんで整列し、朝礼が始まる。
連絡ノートを泉さんが開き、今日の目標と注意事項を伝えた。
「今日は新商品のマンゴーチョコレートパンがおすすめ商品です。
皆で声かけしていきましょー。
それと、クレンリネス強化期間です。
昼の時間は忙しいですが、それでも床、窓、ドア付近はこまめに掃除するようにしましょう。
時間がないから誓いの言葉はいいや、それでは、接客用語を唱和します。
『いらっしゃいませ!
』」「いらっしゃいませー!」「『かしこまりましたー!』」「かしこまりましたー!」「『ありがとうございますー!
』」「ありがとうございますー!」
接客用語を唱和し、身だしなみのチェックをして、「いらっしゃいませ!」
と言いながら、一人ずつドアの外へ出ていく。
二人に続いて、私も事務所のドアから飛び出した。
「いらっしゃいませ、おはようございます!」
この瞬間がとても好きだ。
自分の中に、「朝」という時間が運ばれてくる感じがする。
外から人が入ってくるチャイム音が、教会の鐘の音に聞こえる。
ドアをあければ、光の箱が私を待っている。
いつも回転し続ける、ゆるぎない正常な世界。
私は、この光に満ちた箱の中の世界を信じている。
私は金曜日と日曜日が休みなので、平日の金曜日、結婚して地元で暮らしている友達に会いに行くことがある。
学生時代は「黙る」ことに専念していたのでほとんど友達はいなかったが、アルバイトを始めてから行われた同窓会で旧友と再会してからは地元に友達ができた。
「えー、久しぶり、古倉さん!イメージ全然違うー!」
明るく声をかけてきたミホと、持っているバッグが色違いだという話で盛り上がり、今度一緒に買い物に行こうと、メールアドレスを交換した。
それから、たまに集まってご飯を食べたり、買い物をしたりしていた。