ミホは、今では結婚して地元に中古の一戸建てを買っていて、そこに友達がよく集まっている。
明日もアルバイトなので億劫に思う時もあるが、コンビニ以外の世界との唯一の接点であり、同い年の「普通の三十代女性」と交流する貴重な機会なので、ミホの誘いにはなるべく応じるようにしている。
今日も、ミホと、まだ小さい子供を連れたユカリ、結婚しているが子供はまだのサツキと私、というメンバーで、ミホの家にケーキを持ち寄ってお茶をしていた。
子連れのユカリは旦那の仕事の関係でしばらく地元を離れていたので、会うのは久しぶりだった。
駅前のショッピングモールで買ったケーキを食べながら、皆の顔を見て懐かしい懐かしいと連呼するユカリに皆が笑った。
「やっぱり地元はいいなあ。
恵子と前に会ったのって、私が結婚したばかりの頃だったよね」
「うん、そうそう。
あの時は、皆でお祝いして、もっと大人数でバーベキューしたんだよねー。
懐かしいなあ!」
私は泉さんと菅原さんの喋り方を混ぜながら喋っていた。
「なんか恵子、変わったね」
感情豊かに喋る私をユカリが見つめる。
「前はもっと、天然っぽい喋り方じゃなかった?
髪形のせいかな、雰囲気違って見える」
「えー、そう?
よく会ってるからかな、ぜんぜん変わんない気がするけど」
ミホは首をかしげたが、それはそうだと私は思った。
だって、私の摂取する「世界」は入れ替わっているのだから。
前に友達と会ったとき身体の中にあった水が、今はもうほとんどなくなっていて、違う水に入れ替わっているように、私を形成するものが変化している。
数年前に会ったときは、アルバイトはのんびりした大学生が多くて、私の喋り方は今とは全然違ったと思う。
「そうかな!
変わってるかなー」
説明はせずに、私は笑ってみせた。
「そういえば、服の感じはちょっと変わったかもねー?
前はもっとナチュラルっぽかった気がする」
「あー、それはそうかもね。
それ、表参道のお店のスカートじゃない?
私も色違い、試着したよー、可愛いよね」
「うん、最近、ここの服ばっかり着てる」
身に付けている洋服も、発する言葉のリズムも変わってしまった私が笑っている。
友達は、誰と話しているのだろう。
それでも「懐かしい」という言葉を連発しながら、ユカリは私に笑いかけ続ける。
ミホとサツキは地元で頻繁に会っているせいか、そっくりな表情と喋り方をしている。
特にお菓子の食べ方が似ていて、二人ともネイルを施した手でクッキーを小さく割りながら口に運んでいる。
前からそうだったろうか、と思いだそうとするが、記憶が曖昧だ。
前に会ったときの二人の小さな癖や仕草は、もうどこかへ流れ出て行ってしまったのかもしれないとも思う。
「今度、もっと大人数で集まろうか。
せっかくユカリも地元に帰ってきたんだし、シホとかにも声かけてさー」
「うんうん、いいね、やろうよー」
ミホの提案に皆が身を乗り出す。
「それぞれの旦那と子供も連れてさー、バーベキューやろうよ、また」
「わあ、やりたい!
友達の子供同士が仲良くなるのっていいよね」
「ああ、いいよねえ、そういうの」
うらやましそうな声をあげたサツキに、ユカリが訊ねる。
「サツキのとこは、子供作る予定とかないの?」
「うーん、欲しいんだけどねー。
自然に任せてるけど、そろそろ妊活しようかなって。
ね」「うん、うん、いいタイミングだよー絶対」
ミホが頷く。
ぐっすりと眠るミホの子供を見つめるサツキを見ていると、二人の子宮も共鳴しあっているような気持ちになる。
頷いていたユカリが、ふと私のほうに視線を寄越した。
「恵子は、まだ結婚とかしてないの?」
「うん、してないよ」
「え、じゃあまさか、今もバイト?」
私は少し考えた。
この年齢の人間がきちんとした就職も結婚もしていないのはおかしなことだということは、私も妹に説明されて知っている。
それでも事実を知っているミホたちの前で誤魔化すのも憚られて、私は頷いた。
「うん、実はそうなんだ」
私の返答に、ユカリは戸惑った表情を浮かべた。
急いで、言葉を付け加える。
「あんまり身体が強くないから、今もバイトなんだー!」
私は地元の友達と会うときには、少し持病があって身体が弱いからアルバイトをしていることになっている。
アルバイト先では、親が病気がちで介護があるからだということにしていた。
二種類の言い訳は妹が考えてくれた。
二十代前半のころは、フリーターなど珍しいものではなかったので特に言い訳は必要がなかったが、就職か結婚という形でほとんどが、社会と接続していき、今では両方ともしていないのは私しかいない。
身体が弱いなどと言いながら、毎日立ち仕事を長時間やっているのだから、おかしいと皆、心の中では思っているようだ。
「変なこと聞いていい?
あのさあ、恵子って恋愛ってしたことある?」
冗談めかしながらサツキが言う。
「恋愛?」
「付き合ったこととか……恵子からそういう話、そういえば聞いたことないなって」
「ああ、ないよ」
反射的に正直に答えてしまい、皆が黙り込んだ。
困惑した表情を浮かべながら、目配せをしている。
ああそうだ、こういうときは、「うーん、いい感じになったことはあるけど、私って見る目がないんだよねー」と曖昧に答えて、付き合った経験はないものの、不倫かなにかの事情がある恋愛経験はあって、肉体関係を持ったこともちゃんとありそうな雰囲気で返事をしたほうがいいと、以前妹が教えてくれていたのだった。
「プライベートな質問は、ぼやかして答えれば、向こうが勝手に解釈してくれるから」と言われていたのに、失敗したな、と思う。
「あのさ、私けっこう同性愛の友達とかもいるしさあ、理解あるほうだから。
今はアセクシャル?とかいうのもあるんだよねー」
場をとりなすようにミホが言う。
「そうそう、増えてるっていうよね。
若い人とか、そういうのに興味がないんだよね」
「カミングアウトするのも難しいってテレビで見た、それ」
性経験はないものの、自分のセクシャリティを特に意識したこともない私は、性に無頓着なだけで、特に悩んだことはなかったが、皆、私が苦しんでいるということを前提に話をどんどん進めている。
たとえ本当にそうだとしても、皆が言うようなわかりやすい形の苦悩とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない。
そのほうが自分たちにとってわかりやすいからそういうことにしたい、と言われている気がした。
子供の頃スコップで男子生徒を殴ったときも、「きっと家に問題があるんだ」と根拠のない憶測で家族を責める大人ばかりだった。
私が被虐待児だとしたら理由が理解できて安心するから、そうに違いない、さっさとそれを認めろ、と言わんばかりだった。
迷惑だなあ、何でそんなに安心したいんだろうと思いながら、 「うーん、とにかくね、私は身体が弱いから!」
と、妹が、困ったときはとりあえずこう言えと言っていた言い訳をリピートした。
「そっか、うんうん、そうそう、持病とかあるとね、いろいろ難しいよね」
「けっこうずっと前からだよね、大丈夫ー?」
早くコンビニに行きたいな、と思った。
コンビニでは、働くメンバーの一員であることが何よりも大切にされていて、こんなに複雑ではない。
性別も年齢も国籍も関係なく、同じ制服を身に付ければ全員が「店員」という均等な存在だ。
時計を見ると午後の3時だった。
そろそろ、レジの精算が終わって銀行の両替も完了し、トラックに乗ったパンとお弁当が届いて並べ始めているころだ。
離れていても、コンビニと私は繋がっている。
遠く離れた、光に満ちたスマイルマート日色町駅前店の光景と、そこを満たしているざわめきを鮮明に思い浮かべながら、私はレジを打つために爪が切りそろえられた手を、膝の上で静かに撫でた。